「逝きめぐりても逢はんとぞ思ふ」おまけ③

本文を読む前にこちらの作品をご一読ください。

ここでは本編で語られなかったそれぞれの視点の小話や来世でのわちゃわちゃスピンオフ、さらには制作秘話などをこぼしていきます。③では制作秘話を。

 

 

この台本は「男女の双子は前世で心中した恋人同士」という迷信が元になっています。来世で一緒になろうと心中を決めた二人ですが、来世では血の繋がった家族になってしまう。結ばれない悲しい結末ですが、『家族』として一緒に居られることはある意味幸せなのかもしれません。

 

ですので個人的にこの台本はハッピーエンドにみせかけたメリーバットエンド。通称『メリバ』と呼ばれるものだと私は思っております。


一人娘として大切に育てられてきた美冬は外の世界を知りません。また、自身の願いであった「お父様のようになりたい」という願いも叶いません。“黒羽の一人娘”ではなく“美冬”という人間そのものを見てくれたのは夏彦でした。自分の興味関心に意欲的に取り組む夏彦の姿はある種、憧れに近かったのかもしれません。華族という身分に縛られていた美冬は平民であった夏彦によって救われたといっても過言ではないでしょう。

 

 

しかし、夏彦と美冬は心中を選んだ結果、来世で恋人同士になることは不可能になりました。秋成は来世になっても美冬に想いが届くことはありません。春乃は夏彦という存在によって大好きな美冬を永遠に失い、また大好きだった秋成も不幸になってしまいました。美冬は黒羽家の一人娘だったために黒羽家の将来も明るくないでしょう。

 

実は誰も幸せになっていないというのがこの話の大オチといってもいいかもしれませんね。

 

Episodeシリーズではそれぞれの過去や未来について深堀りしています。いっこずつ話していきたい。

夏彦の小話であるEpisode.N、夏彦は長男故の葛藤が存在したようです。長男が全員炭次郎みたく耐えれると思うなよ。自分が悪いことをしている自覚はありつつも少しでも家族の為になろうとしているところは長男の呪縛といってもいいかもしれませんね。

来世の彼は記憶を持っていませんが、妹として真冬のことを大切にしてくれているのが真冬にとって喜ばしいことでしょう。

 

美冬の小話であるEpisode.M、前述のとおり、女であるからゆえに美冬の願いが叶うことはありません。そのため美冬は秋成のことを羨ましいと感じている気がします。秋成から「その血に生まれた役割を我々は果たさなければならないんです」と言われた際、秋成は「華族として生まれたならばその地位にふさわしい行動をとるべきだ」と思っているでしょうし、美冬は「貴方が男だからそうできているのでしょう」と嫉妬じみたなにかがあったかもしれませんね。2人がうまくいかなかった理由は時代背景にも関わってくるかもしれません。

 

春乃の小話であるEpisode.H、唯一の前世軸のその後のお話ですね。春乃ちゃんは大好きな人の傍に居られるだけで幸せだったので、美冬の手を放してしまった後悔をずっと引きずっているでしょう。そして同時に秋成への淡い恋心にそっと蓋を閉じている場面でもあります。春乃の秋成への想いははじめこそ尊敬の域だったでしょう。しかし無意識的に「あの人は美冬お嬢様の婚約者だから」とその恋は成就しないと、してはいけないと悟ります。しかし、侍女として傍に入れるのならば。美冬お嬢様とともに居れるのであれば、春乃にとってこれ以上ないほど幸せだったのかもしれません。

お願いだから来世では幸せになってほしい。

 

秋成の小話であるEpisode.A、秋成が美冬お嬢様のことをどれだけ想っていたのか、また秋成自身の白金家というしがらみに対する感情も垣間見えることでしょう。あの日の美冬は秋成にとって尊敬の対象と呼べるものだったのかもしれません。しかし年月が経ち美冬は変わってしまった。それに対して憤りを感じている秋成がいたのかもしれません。最後の一文なんか書いてて鬼か?と思ったくらいです。

 

 

 

この台本、とある先輩に読んでもらったことがあります。気づいたら先輩は秋成激推し強火担になっていました。

曰く、「秋成は華族として行動していた。その身分であることに誇りと責任をもって行動していた。美冬に対して言い方はきつかったかもしれない。だけど秋成が美冬のことを軽んじたことが今までにあった?ないよね?じゃあ秋成何も悪くないよ悪いの全部美冬だよ夏彦は自ら身を引いたのにくあせふじこ(以下略)」だそうです。笑ってしまいました。

 

 

 

作中にたびたび現れる和歌も現代語訳を調べてみると面白いかもしれません。今回はタイトルになっている「逝きめぐりても逢はんとぞ思ふ」についてすこしお話ししましょう。

 

「逝きめぐりても逢はんとぞ思ふ」

これは作中の最後に登場した和歌、「下の帯の 道はかたがた 別るとも ゆきめぐりても 逢はんとぞ思ふ」が元ネタになっています。

現代訳すると「帯状の道は互いの方向に別れるけれど、往きめぐりてもまた会いたいと思うでしょう」という訳になります。

下の句の「ゆきめぐりて」はひらがな表記ですのでさまざまな漢字を当てはめて考えることが可能です。 行く・往く・巡る・廻る・雪めぐりてなんかもいいかもしれません。解釈の仕方は様々です。

私は台本の主題である日本の迷信になぞらえて解釈してみました。それが「逝きめぐりても」という書き方でした。道が分かれてしまっても、たとえ死んでしまっても、私はあなたにまた会いたい。という夏彦の美冬への想いが感じられていいなあと思った次第です。元ネタは離別歌という部類に分けられますが、こう詠んでみると恋愛歌っぽくも詠めそうですよね。

 

お気づきの方もいるかもしれませんが私は和歌が好きです。紀貫之好きです。和歌がお好きな方、タイトルに和歌要素入れると痺れます。私がそうです。

 

 

最後になりますが、ここまでお読みいただいた貴方様、誠にありがとうございました。感想や意見、二次創作なんかも私は見てて楽しいのでぜひいろいろな妄想をしてみてください。コメントつけてくれると喜びます。

それでは今回はこのあたりで筆を置かせていただきます。



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